三国時代中国 三国志魏呉蜀の国力比は7:3:1とか6:2

  07 3月 2021

三国時代中国 三国志魏呉蜀の国力比は7:3:1とか6:2。歳出?歳入額等の財務データが詳しく分かるとより具体的に国力を算出しやすいのですが、明清時代みたいに会計記録が残っていない都合上、三国時代だと人口数が国力の指標として相応しいのではないかと思います。三国志、魏呉蜀の国力比は7:3:1とか6:2:1などと言われますが蜀が1だとすると魏はともかく、呉は2と3ではかなりの開きがあります、実際はどれくらいの割合だと思いますか

皆さんの個人的な 見解でも勿論かまいませんし、学者さんなどの見解などもご存知でしたらお教え下さい三国志。三国志。魏呉蜀の国力比はとかなどと言われますが蜀がだとすると魏三国時代中国。後漢滅亡後の中国に。220~280年。華北の魏?江南の呉?四川の蜀の三国
が分立した時代。3~6世紀の長い魏晋土地?経済力?人口などの国力を総合
すると。およそ。中原の魏が6,長江下流の呉が2,長江上流の蜀が1。の比率魏。三国時代 中国 – ; 三国志とはなんでも三国志; 三国時代から晋の中国
統一まで; 三国志。魏呉蜀の国力比はとかなどと言われますが蜀

『三国志を抱く』マニア必見の秘話満載――“三国志”の真実について。三国志”のハイライトといえば。“赤壁の戦い”※や“官渡の戦い”※。“夷
陵の戦い”※など。数十万の渡邉 戦いに際しては。最大兵力が約万
なので。動員可能な人数は~万というところだったと思います。当時の資料
から推測すると。三国が建国されたころの国力比は魏。呉。蜀で。。くらい
だったと思いますが。三国時代の終わりごろには曹操の政策が効果を正史。また正史 三国志〈〉蜀書 ちくま学芸文庫もアマゾン配送商品なら通常配送
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正史 三国志〈〉呉書 ちくま学芸文庫される孔明巻四十一「杨洪伝」
。日頃から不遜な言動を苦々しく思っていた家臣を機会を捕まえて誅殺する劉備
巻四十二「周羣伝」など。イメージを覆すエピソードがいくつも現れる。
口数。戸数を加味すると魏呉蜀の国力比はおよそ6。2。1になると推定する
史家もいる。

歳出?歳入額等の財務データが詳しく分かるとより具体的に国力を算出しやすいのですが、明清時代みたいに会計記録が残っていない都合上、三国時代だと人口数が国力の指標として相応しいのではないかと思います。注意点は人口調査の精度が高くないので、部分的にはともかく全体の把握はかなり難しいとこと。三国時代は三国鼎立後に情勢が安定して人口が増加に転じ、最も多い時で3000万~3700万だったと言われています。後漢は5000万なので三分の一ほど減ったことになります。呉と蜀は滅亡時に230万と94万という数字が残っていることで有名ですが、中国の学者によるとこの数字には落とし穴があるとか。要約すると、三国や晋の戸籍統計は民戸?兵?吏に分けて行ったようですが、上に挙げた人数は民戸に限られ、兵?吏とその家族の人数は加えられていないようです。どうも民戸を調べるのは州や県の仕事ですが、兵や吏は別の部署が調べるのでこうなったようですね。呉は滅亡時点で兵23万と吏3万2000、蜀は兵10万に吏4万ですが、これは兵や吏の人数だけで、彼らの家族はカウントされていません。学者の推計では次の通りになるようです。?兵士と家族の人数合計……呉:約99万、蜀:約44万、魏:約215万魏の兵は50万ぐらい?吏と家族の人数合計……呉:約16万、蜀:約20万、魏:約63万魏の吏は推計約12.5万人こうなると呉の民戸と兵?吏家族含むを合計した人口は推定約345万、蜀は推定約158万なので、国力比2:1はあながち間違いではないと思います。ちなみに山越などの非漢族とか屯田従事者、大土地所有者の小作人などは人口統計から漏れているので詳細不明です。なお、私が参考にした学者の著作はこの二つです中国語なので注意王育民『中国人口史』江蘇人民出版社、1995年。葛剣雄『中国人口史 第一巻』復旦大学出版社、2002年。特に前者の著書は三国時代の人口推計としては出来の良いものだそうです。葛剣雄先生のシリーズは中国史の人口動態について知りたいなら読んでおきたい本です。大学の図書館にいけば所蔵しているかもしれないので、秦漢や三国時代の部分などはコピーしておくと良いでしょう。後漢の州ごとの人口比率を見ると、もっとも人口の多い州が益州の約700万人、荊州が約600万、揚州が約400万、因みに全州で約4800万人位です蜀の領土は益州のみ、呉は揚州に交州、荊州の大半を領土にしていますが、交州ベトナム方面は人口110万程の州なので他の回答者さんが述べている赤壁後ベトナム方面に支配地を広げたから2?3以上に国力が増えたりはしません、荊州も最大の郡である南陽郡は魏の領土ですから荊州全てを支配した訳ではありませんもう一つ指標となりそうな数字を上げると、黄巾以後中華の人口は激減し蜀と呉それぞれ滅亡時の人口は90万と190万です人口=国力と言う訳ではありませんが、最大の指標ではあるでしょう、その辺踏まえれば呉の国力は蜀の倍位が妥当な気がします2という呉の見方は江東地域のみの赤壁戦の頃と思われます。3の国力はベトナムなどに支配領域を伸ばし、呉の最盛期のころを指すと思います。この頃なら3.5?4くらいの国力があってもおかしくはなかったでしょう。呉は孫権死後、後継者争いなどで衰退していきますが、それがなければ呉が天下を取った可能性もあったと思われますね。魏6呉3蜀1といった所でしょう。呉蜀合わせて4の国力で抵抗されると魏としては面倒くさい相手ですが、単体で見るとやはり圧倒的に有利です。

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